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コソヴォ反乱(1944-45年)

枢軸国占領下のユーゴスラヴィアでは、ティトー率いる共産主義パルチザンが勢力を拡大し、ドイツ軍、クロアチア軍、セルビア義勇軍団やウスタシャ等親独勢力、チェトニクに代表される民族主義武装集団と血みどろの戦いを続けていた。


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ティトー


セルヴィアの隣に位置するコソヴォでも同様で、ティトーはアルバニア民族主義武装組織に、「パルチザンに協力すれば、コソヴォをアルバニアへ編入することを認める」ことを呼び掛け、司令官シャバン・ポロウザ麾下の武装集団約9,000がティトー・パルチザンに与して枢軸軍との戦いに参加した。


ところが、ティトーの約束がウソであることが判明したため、1944年12月頃、ポロウザは枢軸軍に対する追撃戦の継続を拒否、逆にパルチザンへの抵抗を開始した。


ポロウザは1945年3月に戦死したが、この戦いはドイツ降伏後も続き、ティトー・パルチザンがコソヴォの支配を確立したのは1945年7月のことであった。


2012年、コソヴォ共和国はポロウザに「コソヴォの英雄」(Hero of Kosovo)称号を授与している。



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| 第二次大戦前後の歴史 | 21時57分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【転載】ハンス・U・ルーデル!ソ連人民最大の敵と呼ばれた破壊王を解説!



この動画を観て、巨人アニメのどこぞの兵士長を思い出しました。


天才というか化け物ですね。


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ハンス・ウルリッヒ・ルーデル


それにしても、周りが止めないと、1日に何回でも出撃するとは元気だなぁ、と思っていたら、ドイツ敗戦時点で29歳なんですね。


敗戦時大佐だから、もっと年長だと思っていましたが、ドイツ軍やソ連軍は柔軟な人事をやりますね。


これが日本軍だったら、「できて当たり前、できなければ懲罰」で、これほどの戦功を挙げても、おそらくそれほど昇進しなかったことでしょう。


にもかかわらず、日本軍はあの劣弱極まりない装備でよく戦ったと思います。


正直なところ、イタリア軍のようにさっさと敗走するなり投降するなりすれば良かったと思いますね。





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| 第二次大戦前後の歴史 | 22時07分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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レヒ(シュテルン) ~イスラエルの反英テロ組織~

1940年6月、第二次大戦勃発により、イギリスに対するテロを停止した反英ユダヤ人組織イルグンから離脱したアブラハム・シュテルンは、反英武力闘争を継続すべく、新たにロハメイ・ヘルート・イスラエル(イスラエル自由戦士団)を結成した。


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アブラハム・シュテルン


シュテルンは、イギリスによるユダヤ人のパレスティナへの移民及びパレスティナの土地取得の制限に反発して、イギリスを「ユダヤ人の敵」と見做し、反英テロを行ったが、1942年、親英ユダヤ人組織ハガナーの密告によって、イギリス官憲に逮捕された後射殺された。


シュテルンの死後、組織はイツハク・シャミル(後のイスラエル首相)、ナタン・イェリン・モル、イスラエル・エルダドの3名による集団指導体制に移行し、イギリス兵・警官やユダヤ人協力者の暗殺、施設の破壊活動等を実施して行き、1944年11月にはイギリスの中東長官(閣僚)モイン男ウォルター・ギネスをカイロで暗殺し、1947年1月にはハイファの警察署を爆破している。


1948年4月9日、イルグンとともにディール・ヤシーン村を襲撃、パレスティナ人250人(殆どが一般人)を虐殺して国際的非難を浴び、且つ第一次中東戦争の直接の原因となった。


更に9月17日には、国連調停委員フォルケ・ベルナドッテ伯をエルサレムで暗殺したため、イスラエル政府はレヒを強制的に解散させた。



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| 第二次大戦前後の歴史 | 22時25分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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