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漢口事件 ~中国軍民による日本人居留地襲撃~

漢口は武昌、漢陽と併せて武漢三鎮と言われ、現在では武漢市として湖北省都となっている。


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1927年3月24日に発生した南京事件で、日本が何らの居留民保護を行わなかったばかりか、「日本人被害者ゼロ」とウソの発表をしたことから、多くの中国人は日本をカモと見るようになったようで、以後立て続けに日本人に対する掠奪暴行放火殺人等が発生するようになったが、漢口事件もその1つである。


1927年4月3日、国民革命軍が武漢に入城し、うち一部が漢口の日本人居留地に侵入して掠奪破壊を始めると、付近の中国民衆数千も暴徒化してこれに加わり、日本人多数を殺傷して、日本人居留地の2/3を占拠し、更に河岸に向った。


これに対し、日本軍の海軍陸戦隊が暴徒の大群に向って機銃を威嚇射撃すると、暴徒たちは算を乱して四散した。


以後、武漢在留の2千数百の日本人の武漢からの引き揚げが続き、5月には数百人にまで減少した。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 21時44分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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南京事件 ~中国人暴徒による外国人居留地襲撃~

1926年7月に開始された国民革命軍(国民党軍)の北伐は順調に進み、1927年3月21日には上海を占領、24日には第2軍、第6軍が南京に入城した。


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当初は平和裏に入城していた国民革命軍ではあったが、まもなく一部兵士が暴徒化して外国人居留地を襲撃し、これに民間人の大群も便乗して暴行破壊の限りを尽し、外国人10人を殺害したのを始めとして、婦女暴行も多発し、日本人だけで30人以上が暴行されている。


また掠奪も激しく、日本領事館では兵士に後続して押しかけた南京の老幼男女が電球、電線、装飾器具、炊事道具、風呂桶、便器に至るまで強奪したが、その後日本領事館を訪れた第2軍幹部は「我が国民軍は外国人に危害は加えない。今日、諸君を苦しめたのは確かに北軍(北洋軍閥)の所為である」と嘯いている。


翌25日、米英の艦艇が居留民保護のため、南京城内に艦砲射撃を加えた後、陸戦部隊を城内に送り込んだ。この結果、暴虐の限りを尽していた中国軍民多数が死傷し、残りは四散した。


一方、日本政府は「我が在留婦女にして凌辱を受けたるもの一名もなし」とウソを発表し、現地に碇泊していた日本海軍の駆逐艦も威嚇砲撃すら行わかったため、中国人たちは日本を嘲笑した。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 22時50分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ザンビアにおける暴虐とザンビア民衆の逆襲

ザンビアは1964年の独立以来中国と友好関係にあるが、中国は要路を厚遇して買収する一方、1998年の銅鉱山を買い取った中国人による労働組合設立の弾圧や、2006年の中国企業の賃金未払いに抗議する労働者のデモにおいて、中国人監督による労働者への銃撃に代表されるように、それ以外の人々に対しては暴虐の限りを尽している。


その結果として、ザンビアの人々の反中感情は現在進行形で急速に高まっている。


いくつか事件を挙げると、


2010年、中国企業において、中国人幹部が賃上げを求めて抗議した労働者たちを銃撃して13人を負傷させた。


2012年7月、ザンビア政府が法定最低賃金を従来の2倍に引き上げたにもかかわらず、中国資本の炭鉱が賃上げしなかったため、8月、労働者たちが中国人幹部を襲撃して、1人を殺害、2人を負傷させた。


2020年5月、首都ルサカにある中国企業の繊維工場で、中国人から不当な扱いを受けていた労働者たちが中国人幹部3人を殺害した。


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このような事件に対し、多くのザンビア国民は、「中国人がザンビアで我が物顔に振る舞うことに原因がある」という認識であり、客観的に見て、その認識は正しい。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 22時58分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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バルーチスターン解放軍(BLA)

バルーチスターン解放軍(BLA)はパキスタン西部のバルーチスタン地方の分離独立を主張して活動しているパキスタンの反政府武装勢力である。


中国はパキスタンに大規模な軍事援助を実施しており、加えてバルーチスタンには石炭、天然ガスが豊富にあり、中国はこれら資源を収奪し、グワダル港を我が物顔に使用している。


このような中国の横暴に対し、2010年代に入ってから、BLAを始めとするバルーチ人武装組織による抵抗が頻発している。


最近の例を挙げると、


2018年11月23日、武装集団が在カラチ中国領事館を襲撃し、BLAが「犯行」声明を出した。


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2019年5月11日、グワダルで、武装集団が「中国その他の投資者」を標的としてホテルを襲撃し、従業員4人と警官1人を殺害した。


2020年4月1日、カラチにおいて、武装集団が中国人技術者とパキスタン労働者を運んでいた車列を爆弾を以て攻撃し、中国人数人を殺害した。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 22時35分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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サラワクゲリラ暴乱

 サラワク州はボルネオ島(カリマンタン島)にあるマレーシアの州で、ここには「華人」と称する漢人が多数居住している。


 彼らは18〜19世紀に金鉱労働者として同地に移住して来たもので、当初は同地のスルタンらの管理統制に従っていたものの、大陸から家族や親類を呼び寄せる等して勢力を拡大すると、スルタンの支配に服さなくなり、漢人の「王国」を築き上げた。


 19世紀後半になると、いち早く白人支配者に服従し、彼らの手先となって、マレー人から収奪の限りを尽した。


 彼らは中国語学校で教育を受け、日常的に中国紙を購読していたため、漢人=中国人としての意識が強く、1949年に中華人民共和国が建国されて以降50年代を通じて、共産党支持者と国民党支持者との間で抗争が続いた。


 そんなわけであるから、1963年にサラワク州がマレーシア連邦に編入されると、この地の漢人たちは「分離独立」を求め、共産主義者を主体として、1964年にはサラワク人民遊撃隊、65年には北カリマンタン人民軍を組織して、「反マレーシア武装闘争」を展開した。


 この漢人ゲリラ集団を、当時マレーシアと対立関係にあったインドネシアが支援したため、漢人ゲリラは形勢が悪くなるとインドネシアに逃げ込み、態勢を立て直してマレーシア側へ侵入、ということを繰り返していた。


 ところが、1965年9月30日にインドネシアで共産主義を信奉するインドネシア国軍将校によるクーデターが発生して以降、この状況は一変し、インドネシア政府は左派系新聞の発行停止、中国語学校の閉鎖といった措置を矢継ぎ早に繰り出し、翌66年にはマレーシアと和解した。


 この結果、インドネシア軍もサラワクの漢人ゲリラの掃討に乗り出すことになり、漢人ゲリラはこれまでのようにやりたい放題できなくなったわけであるが、それでも、インドネシア側の漢人たちが漢人ゲリラを密かに支持していたため、漢人ゲリラを一掃できず、更なる効果的措置が必要な状況にあった。


 この状況下にあった1967年7月16日、サラワクの林和貴、黄紀暁率いる漢人ゲリラと西カリマンタンの陳武侠、王明ら西カリマンタン共産党関係者が共同でサラワク国境近くのインドネシア空軍基地に潜入して、小銃50、拳銃50、弾薬数十箱を盗むという事件が発生、インドネシア政府・軍は態度を硬化させ、直ちに空挺部隊をこの地域に投入して、漢人ゲリラの一掃を図る一方で、この地域の漢人たちをゲリラの温床となっていた内陸部から沿岸部へ追放した。


 このような措置の結果、この地域の漢人ゲリラの勢力は次第に弱体化し、1970年代半ばに収束した。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 06時28分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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