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「小野小町って言うほど美人か????」 ←「言うほど」もなにも、、



正真正銘のブス、醜女でしょ。


「馬子にも衣裳」というけど、「ブスにも衣裳」、、なのか?


そもそも「世界三大美人」を考え出したのって日本人なんじゃないの?


楊貴妃にしろ小野小町にしろ、東北アジア系以外の人々によく知られるというほどの人間じゃないし、それ以前に「キツネ目の女」が2人も含まれている時点で怪しさ満載だよな。




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| 日本史 | 21時03分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『甲陽軍鑑』に見る「乱妨取り」の実態

敵地または中立地帯でモノやヒトを掠奪することを「乱妨取り」または「乱取り」といいますが、稀に味方に対して行われることもありました(例.元寇時の鎌倉武士たちによる博多での掠奪)。 


乱妨取りで掠奪したモノやヒトは、掠奪した人の所有物になったので、戦闘そっちのけで掠奪に狂奔する兵士たちも多数存在しました(絶対数からいえば、掠奪目当ての兵の方が多かったと思われます)。


乱妨取りが生き生きと描かれているのが、江戸時代初期に編纂された『甲陽軍鑑』です。 


信濃に進出した武田軍は、信越国境の関山(新潟県妙高市)を越え、春日山城近くまで侵攻し、村々に火を放ち、どさくさに紛れて女こどもを乱取りし、その人々を甲斐に連行して、自分の下人にした。 

この作戦で武田軍は越後を占領こそしなかったが、掠奪に大成果をあげた、それもみな信玄公の威光のお陰だ。 


乱妨取りされた人の身分は一般的に「下人」とされることが多く、下人は乱妨取りした者の所有物であり、所有者は下人を自由に使役したり売買したりすることができたので、これは奴隷といって良い存在です。 


『甲陽軍鑑』には雑兵たちの乱取りを非難する記述があるにはあります。 

「乱取りばかりにふけっており、人を討つという気持ちがまったくない。」 


しかし、これは戦闘そっちのけで乱妨取りに熱中するのはよろしくない、と言っているのであって、乱妨取りそのものを否定しているわけではありません。 


実際、1590年の小田原北条氏との戦いの前に徳川家康が制定した軍法にも、「下知なくして、男女を乱取りしてはならない」というものがあります。 


これは裏を返せば、下知があれば男女を乱取りしても良いということです。 





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| 日本史 | 21時08分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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前期倭寇 ~日本・明・朝鮮の人身売買ネットワーク~

前期倭寇は元寇後に始まり、14世紀後半に激化しました。


倭寇は北九州、瀬戸内海の日本人を主とし、それに朝鮮人が加わっていました。


当時の明や朝鮮の記録には、倭寇による掠奪暴行放火殺人が多く記載されており、その掠奪物の中に多数のヒトも含まれていたといいます。


倭寇によって掠奪された中国人、朝鮮人は、対馬や松浦の市場で売買されていたようで、南北朝の動乱によって激減した農業労働力を補完することを目的としていました。


一方、当時の明や朝鮮にも人身売買による日本人がおり、これらは南北朝の動乱期に乱妨取りされて倭寇に売却されたもの、あるいは応永の外寇その他対馬侵攻の際に朝鮮軍が強制連行したものと思われます。






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| 日本史 | 21時02分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「日本人を奴隷として外国へ売り飛ばすキリシタンらを処罰するのは、当時の日本人の価値観でも当然」だったか?

キリシタン弾圧について、

「キリシタンたちは同族の日本人(非キリスト教徒)を捕え、女こどもを奴隷として外国に売り払い、私腹を肥していた。当時の日本人の価値観でも、同族を奴隷として外国へ売り飛ばすキリシタンを処罰するのは当然である。」

というような妄説を唱える輩が最近増えているようです。


つまり、

「非キリスト教徒の日本人を捕えて外国に販売していたのはキリシタンだけであり、そもそも当時の日本社会には、人を手当たり次第に奪い、国内外で人身売買するという慣習は存在しなかった。」

と主張しているわけです。


それなら大坂夏の陣図屏風に描かれている掠奪暴行放火殺人のシーンは何なのでしょう?


大坂夏の陣

natu1.jpg


『三河物語』に、(大坂落城時)「悉く女・子供を北国・四国・九州・中国・五畿内・関東・出羽・奥州まで散り散りにとられていった」と書かれているのは捏造なんですかね?


どうも都合の悪い事実は華麗にスルーしてしまうようです。






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| 日本史 | 21時24分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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天照大神の位置づけ

仏教では世界を、上から仏、菩薩、縁覚、声聞、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の10段階に区分している。

天~地獄は前述の通り、迷える衆生の世界=六道であり、声聞以上は悟りの世界=四聖である。


下記は鎌倉幕府執権北条泰時の起請文である。

娑婆世界南贍部洲大日本国従四位上行左京権大夫平朝臣泰時敬白、真言教主大日如来・十方三世一切諸仏・大慈大悲地蔵菩薩・地前地上諸大薩埵・声聞縁覚諸賢聖主・梵天帝釈四大天王・諸天北辰北斗・七曜九曜・十二宮神・二十八宿・・・天神地祇並びに部類眷属に謹んで申し上げる。


初めに神仏の名前を読み上げているが、如来=仏、菩薩、二乗(縁覚声聞)、天、陰陽道の神々、神道の神々の順に配列されている。


次に別の起請文を見てみよう。

南無、日本、大小の神祇、只今勧請申し奉る。まず、上は梵天帝釈、下は四大天王、下界の地には、伊勢は神明、天照皇大神、外宮、内宮、八十末社。


今度は四聖は出て来ず、天以下のみであるが、天内部にも序列があり、四聖と合せれば仏教的世界観そのままということがわかる。

加えて、神道(と陰陽道)の神々は天部の一種として扱われており、且つ天部最下級の四天王の下位に位置付けられていることがわかる。


今回は2例しか挙げなかったが、中世に作成された膨大な数の起請文も大体同様の配列になっているため、これが中世日本人の一般的な世界観であったといえる。


ちなみに鎌倉新仏教の教祖たちのうち、少なくとも親鸞、道元、日蓮はこの世界観を持っている。

中でも日蓮は「天照・八幡神などというものは、この国でこそ重んじられているが、梵天帝釈四天王に比べれば小神に過ぎない」と述べたと記録されていることを付け加えておこう。


「神仏習合」と言えば聞こえは良いが、こうして見てみると、主体はどこまでも仏教なのであって、神道は仏教の付属品といって良い位置づけと言える。


実際問題として、優れた教義と精緻な修行体系を有する仏教に比べて、神道には何らの教義もなく、土俗的な原始宗教に過ぎないわけだから、勝負にならないのは当然であるといえ、中世の日本人がそこまで愚かではなかったことの証明になろう。






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| 日本史 | 22時47分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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