仏教では世界を、上から仏、菩薩、縁覚、声聞、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の10段階に区分している。
天~地獄は前述の通り、迷える衆生の世界=六道であり、声聞以上は悟りの世界=四聖である。
下記は鎌倉幕府執権北条泰時の起請文である。
娑婆世界南贍部洲大日本国従四位上行左京権大夫平朝臣泰時敬白、真言教主大日如来・十方三世一切諸仏・大慈大悲地蔵菩薩・地前地上諸大薩埵・声聞縁覚諸賢聖主・梵天帝釈四大天王・諸天北辰北斗・七曜九曜・十二宮神・二十八宿・・・天神地祇並びに部類眷属に謹んで申し上げる。
初めに神仏の名前を読み上げているが、如来=仏、菩薩、二乗(縁覚声聞)、天、陰陽道の神々、神道の神々の順に配列されている。
次に別の起請文を見てみよう。
南無、日本、大小の神祇、只今勧請申し奉る。まず、上は梵天帝釈、下は四大天王、下界の地には、伊勢は神明、天照皇大神、外宮、内宮、八十末社。
今度は四聖は出て来ず、天以下のみであるが、天内部にも序列があり、四聖と合せれば仏教的世界観そのままということがわかる。
加えて、神道(と陰陽道)の神々は天部の一種として扱われており、且つ天部最下級の四天王の下位に位置付けられていることがわかる。
今回は2例しか挙げなかったが、中世に作成された膨大な数の起請文も大体同様の配列になっているため、これが中世日本人の一般的な世界観であったといえる。
ちなみに鎌倉新仏教の教祖たちのうち、少なくとも親鸞、道元、日蓮はこの世界観を持っている。
中でも日蓮は「天照・八幡神などというものは、この国でこそ重んじられているが、梵天帝釈四天王に比べれば小神に過ぎない」と述べたと記録されていることを付け加えておこう。
「神仏習合」と言えば聞こえは良いが、こうして見てみると、主体はどこまでも仏教なのであって、神道は仏教の付属品といって良い位置づけと言える。
実際問題として、優れた教義と精緻な修行体系を有する仏教に比べて、神道には何らの教義もなく、土俗的な原始宗教に過ぎないわけだから、勝負にならないのは当然であるといえ、中世の日本人がそこまで愚かではなかったことの証明になろう。
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