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【官爵のインフレ】1864年、太平天国には2,700余人の王がいた

太平天国革命時、清王朝は軍官職を大盤振る舞いしましたが、一方の太平天国も負けてはいませんでした。


それは太平天国初期と末期の官制から一目瞭然です。

初期は、

天王
東西南北王、翼王=軍師兼主将
護天侯、頂天侯等
丞相
検点
指揮
将軍
総制
監軍
軍帥
師帥
旅帥
卒長
両司馬
伍長
伍卒


太平天国


これが1864年になると、王爵保持者は2,700余に達し、初期には高級幹部であった丞相~将軍は兵卒に与えられるまでに下落していました。

天王
王(内部に4段階あり)
天将
朝将
神将
主将
丞相
検点
指揮
将軍


実際、常州防衛司令官だった護王陳坤書の軍に至っては、一兵卒に至るまで〇天安、△天福(○、△には漢字1字)という爵位を持っていたという記録が残っています。






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| 中国史 | 00時49分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【官爵のインフレ】太平天国革命鎮定に対する清王朝の恩賞

西南戦争当時の日本軍の恩賞が下士官兵を対象外としていた頃、大陸では太平天国革命に始まった大戦乱が終焉を迎えようとしていました。


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太平天国革命の鎮定に清の正規軍八旗緑営は役に立たず、鎮定の主力となったのは、主として江南出身の大官が組織した地縁血縁に基づく郷勇(義勇兵)で、清王朝は彼らの軍功に報いるに軍官職を大盤振る舞いしました。


その数たるや、記名提督(軍管区司令官任用資格、武従一品)が8,000人、記名総兵(師団長任用資格、武正二品)が2万人に達し、記名副将(旅団長任用資格、武従二品)以下はその数もわからないほどでしたから、一兵卒に至るまで何らかの軍官職が付与されていたものと思われます。


もちろん提督(正式には「提督軍務総兵官」)は清全土に十数名、総兵(正式には「総兵官」)は60人くらいしかいませんでしたから、記名提督・総兵の殆どはこれらの官職に任命されることはなく、せいぜい営官(大隊長)になれる程度でしたが、それでも日本軍のように何も与えられないよりはマシだったと思います。


実際、日清戦争当時の北洋水師提督(北洋艦隊司令長官、武従一品)丁汝昌は元太平軍兵士で、清に投降した後頭角を現した人物です。このようなケースは、清では珍しいものではありませんでした。






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