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モンゴル侵攻(1370-1424) その1 ~明初~

 1368年、明の太祖朱元璋が大将軍徐達を総司令とする北伐軍を派遣すると、元は大都を捨てて北走し、上都、更に応昌府(ダライ・ノール湖畔)へと逃れた。


 1370年5月、左副将軍李文忠率いる明軍が居庸関からモンゴルに侵攻し、応昌府を包囲してこれを攻略した。皇太子アユル・シリダラは数十騎を引き連れてカラコルムへ逃走した。


 1372年大将軍徐達率いる明の大軍がモンゴルへ侵攻し、逃げるモンゴル軍を追ってカラコルムに達したところで、河南王ココ・ティムール率いるモンゴル軍主力と交戦して大敗した。


 以後、モンゴルが反攻に転じ、一時は山西北部を回復したものの、1375年にココ・ティムールが、1378年にアユル・シリダラが相次いで死去したため、反攻は頓挫した。


 1380年、西平侯沐英率いる明軍が霊州から黄河を渡り、賀蘭山(南モンゴル内)を経て、沙漠を渡ってカラコルムに侵攻し、国公トゴチ、平章政事オルジェイ・ブカ等を捕えた。


 1381年、大将軍徐達、右副将軍傳友徳率いる明軍が全寧(シラムレン河流域)地方へ侵攻した。


 1388年、永昌侯藍玉、延安侯唐勝宗、武定侯郭英等率いる明軍がブイルノールを急襲してモンゴル軍を大破し、太尉マンツ以下数千を殺害、男女7万余を連行、家畜10万を掠奪した。トクス・ティムール・ハーンは丞相シレメン等数十騎を引き連れて逃走したが、その途中、部下のイェスデル(アリクブケの後裔)によって殺害され、シレメンは明に投降し、以後モンゴルはモンゴルとオイラートに分れて争った。


 1391年、左軍都督僉事劉真率いる明軍がハミを急襲してこれを占領した。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 01時53分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑















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