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明のベトナム侵略 その2 ~陳簡定の蜂起~

 明によるベトナムの直接支配は、胡氏の「懲罰」と陳朝の「復興」という明の口実がウソだったことを示すものであったから、陳朝残存勢力にとっては受け入れ難いものであった。


 1407年10月、日南郡王陳簡定が寧平省安謨(イエンモ)において明の支配に抗して蜂起するも、12月、明軍に敗れて乂安に逃れ、その後更に化州(承天フエ省)へ逃走した。


 1408年4月、明軍の撤退に伴い、陳簡定は乂安を回復した。


 7月、陳簡定、国公鄧悉率いる清化省〜承天フエ省のベトナム軍が北上し、ハノイ付近まで進軍した。これに対し、12月、沐晟率いる明軍4万がベトナムに侵入し、14日、交趾都指揮使(師団長)呂毅のべトナム占領軍と合流して、寧平付近でベトナム軍と交戦して大敗、呂毅は戦死し、沐晟はハノイへ逃走した。


 1409年5月、張輔率いる明軍47,000がベトナムへ侵攻し、6〜8月、ハノイ周辺各地のベトナム軍を撃破、9月、水陸両路から南侵してタインホア(清化)を占領した。陳簡定はタインホアから西方の山地を通って北方へ逃亡したものの、11月、広威州で明軍によって捕えられ、1410年1月、南京で処刑された。



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| 歴代中華帝国対外侵略史 | 08時32分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑















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