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ソ連のエストニア占領と圧政 ~エストニア占領 その1~

エストニアは13世紀以降、ドイツ諸侯の支配下にありつつ、ポーランド、スウェーデンやロシアの領土になっていた。


1917年にロシア革命が起り、翌18年に第一次大戦でドイツが敗れると、バルト三国の領域は権力の空白地帯となり、1920年、エストニアは独立を実現した。


ところが、1939年に独ソ不可侵条約が結ばれると、ソ連はドイツとの密約に従って、バルト三国侵奪野心を露わにし、9月、ポーランド軍の潜水艦「オルゼル」がタリン港に避難したことを問題視、「エストニアには沿岸防衛能力がない」と通告して、エストニアへのソ連軍の駐留を認めさせた。


更に1940年5月、ソ連はバルト三国の雑誌『レビューバルチック』を「ソ連の安全保障に脅威ある内容」と非難し、あろうことかこれを「根拠」(?)として、国境付近に大軍を集結させた上で、バルト三国各々に親ソ政権の樹立を要求した。


更に8月、ソ連は「エストニア政府の希望を受け入れ、エストニアの併合に同意した」と発表し、エストニア軍の将校250人をソ連との国境近くのイズボルスクで「処刑」したのを始め、エストニアの指導層、富裕層、官吏、教員、反共主義者(共産主義者であっても「トロツキスト」として)等を「反ソ主義者」として、強制収容所またはシベリアへ強制連行し、その人数は約6万人に上った。


このようなソ連の圧政に対して、エストニアが無抵抗であった訳ではなく、森林地帯に逃れて、反ソ武力闘争に身を投じた人々(『森の兄弟たち』)が約25,000に上り、また、ソ連の厳重な国境監視をかいくぐってフィンランドその他に亡命した人々もいた。



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| ソ連・ロシアの侵略と圧政 | 22時11分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑















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