クリミア・タタール人追放 ~ソ連によるクリミア・タタール人ジェノサイド~
1944年5月、スターリンは「ドイツ軍によるクリミア半島占領時、クリミア・タタール人がソ連を裏切って大規模にドイツに協力した」と決めつけ、クリミア・タタール人全員を中央アジアへ強制連行することを決定した。

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5月18日、NKVD(内務人民委員部)32,000人がクリミア・タタール人に30分以内に退去するよう要求し、NKVDの記録によれば183,144人を中央アジアへ強制連行、うち46%が1年半以内に死亡している。
ソ連はクリミア・タタール人を追放した後、彼らの残した資産を全て接収し、多数のロシア人をこの地に移住させて、ロシア化を図った。
クリミア・タタール人の追放措置が解除されたのは1967年のことで、それ以後クリミア・タタールへの帰還が許可されたものの、スターリンによるロシア化の影響は大きく、2014年のクリミア併合前のクリミアにおけるクリミア・タタール人の比率は10%程度となっている。

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| ソ連・ロシアの侵略と圧政 | 21時47分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑