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インド国民軍(Indian National Army) ~第二次大戦時日本の同盟軍~

インド国民軍(INA)は、東南アジアで日本軍に降伏したインド兵の志願者を以て編制されたもので、1943年7月にマハトマ・ガンジーと並ぶインド独立運動家スバス・チャンドラ・ボースがINAの指揮権を掌握すると、東南アジアのインド系住民の熱狂的支持を得て勢力を拡大、兵力は45,000に達した。


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ガンジー(左)とボース(右)


INAはインドSS義勇軍団のようなドイツ軍または武装SSの外人部隊という位置付けではなく、ボースを主席とする自由インド仮政府の麾下にある日本の同盟軍という位置付けであった。


1944年3月に開始されたインパール作戦にINAそしてボース自身も参加したが、日本軍が余りにも補給を軽視していたため、当然失敗に終り撤退、更にイラワジ河会戦でも敗れて総崩れとなり、タイに撤退した。


1945年8月、日本が連合軍に降伏すると、ボースはインド独立のためソ連の支援を求めるべく、ソ連に向ったが、途中台湾で航空機事故で死亡した。


第二次大戦が終了したことに安心したからであろうか、イギリスはインドSS義勇軍団の場合と異なり、INA将兵を「国家反逆罪」で裁判に掛けたが、インド民衆の反発は凄まじく、ガンジーの非暴力主義などどこ吹く風、これを機に次々とゼネストや暴動が発生した。


1946年2月には、英印軍の水兵たちも反乱を起こし、ボンベイ、カラチ、カルカッタで数十隻の艦艇を占拠して「インド国民軍海軍」を名乗り、市民に混じって官憲と市街戦を展開、鎮圧に動員されたインド兵たちはイギリス人上官の発砲命令を拒否した。


また、インドの人々はイギリス植民地政府による対日戦勝記念日に弔旗を掲げて抗議の意思表示をした。


1947年8月、イギリス首相クレメント・アトリーはインドの独立を承認したが、後に「スバス・ボースのINAと、それが英国インド軍で引き起こした反乱のせい(で、インド独立を承認せざるを得なかった)」、「(ガンジーの非暴力主義がインド独立に与えた影響は)ほとんど何も無かった」と明言しており、インドでの評価もほぼ同じで、独立の最大の功労者はボースとされている。



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