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第二次大戦下のアルゼンチン

1939年に第二次大戦が始まると、当時イギリスに多大な譲歩を強いられていたアルゼンチンでは親枢軸国派が勢力を拡大、1940年に親枢軸国派のラモン・カスティージョが政権を掌握して、枢軸国寄りの中立政策を採用した。


一方、アメリカはアルゼンチン政府に陰に陽に圧力をかけたため、1944年1月、ラミレス政権は枢軸国と断交するに至ったが、陸軍次官フアン・ドミンゴ・ペロンを始めとする統一将校団(GOU)がこれを非難したことをきっかけとしてラミレスは失脚、3月、副大統領エデルミロ・ファーレルが大統領に就任し、ペロンは副大統領になった。


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フアン・ペロン


これに怒ったアメリカは、大使召還、ファーレル政権不承認、そして経済制裁を発動したが、これら一連の内政干渉は却ってアルゼンチン国民を団結させ、ペロンの人気を高めることになった。


アルゼンチンは枢軸国の敗色が濃厚となった1945年3月末になって、ようやく連合国として形だけ参戦したものの、第二次大戦が終了すると、アメリカとの関係は決定的に悪化した。


1945年8月に戒厳令が解除されると、アメリカの駐アルゼンチン大使スプルーレ・ブレイドンは公然とペロン批判を始め、10月9日、アルゼンチン軍の反ペロン派がクーデターを起こして、ペロンを拘束した。


しかし、軍のペロン派、ペロン支持を決議したCGTのゼネスト、そしてペロンの解放を要求して五月広場に大挙した労働者たちによる「10月17日集会」によってクーデターは失敗、ペロンは解放され、翌年の大統領選に当選した。



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