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朝鮮賊の満州侵入 その2 ~定界碑設置~

 朝鮮賊の満州侵入は、清が明を滅ぼし(1644年)、大挙して漢土に移り住んだ頃から活発化しており、以下主なものを列挙しておく。


 1655年9月、慶源府(李氏朝鮮が咸鏡北道北端に設置した北侵拠点の一)哨官(下級軍官)蔡允立率いる朝鮮兵90人が材木を盗むべく潜に満州へ越境して木を切っていたところ満人2人と遭遇、朝鮮兵が2人を殺害してその連れていた牛を盗んだため、清の使者呉拝が朝鮮に犯人の処罰を要求、朝鮮はこれに従い蔡允立を処刑した。

 1690年9月、咸鏡道民十余人が満州に侵入し、満人を射殺してその採取した人参を奪った。

 1704年2月、慶源阿山堡の民金有一等が満州に侵入し、満人3人を殺害してその財貨を強奪した。

 1710年11月、渭原(平安北道)の民李万成、李万枝、李俊元、李先義、李俊建等が夜陰に乗じて満州に侵入し、採参の幕中に入り、満人5人を撲殺して人参を強奪した。満人1人が脱出に成功し、仲間20人とともに渭原に至り、「大国人5名本部民のために殺さる。」と唱言し、巡邏将高汝岡を捕えて犯人の引渡しを要求した。これに対し、渭原郡守李後悦がこれら満人たちに賄賂を贈ったため、満人たちは引揚げている。


 1712年、度重なる朝鮮賊の満州への侵入に対処するため、清は李氏朝鮮軍官李義復、趙台相等立会の下、清と朝鮮との境界鴨緑江、図們江の上流の境界を明確にすることを目的として江源を調査し、5月15日、長白山に定界碑を設置し、更に1714年には琿春(図們江北岸)に協領(吉林将軍(吉林省軍管区司令官、武従一品)隷下の管区)を設置して、この地域の管理を強化している。



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| 歴代朝鮮対外侵略史 | 01時04分 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑















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